代筆屋の歴史
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初代ラブレター代筆屋?吉田兼好(兼好法師)
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍した歌人であり随筆家でもある吉田兼好こと兼好法師。『徒然草』の作者として現代においてもその名を広く知られていますが、彼がラブレターの代筆をしていたことは、あまり知られていないのではないでしょうか。
兼好法師は、代筆屋として生計を立てていたわけではないものの、周りの人からラブレター、当時の言葉でいうところの“恋文”の代筆をお願いされることがあったそうです。なかでも有名なのが、足利尊氏の側近である「高師直」から依頼された代筆。稀代の随筆家として知られた兼好法師が書いたラブレターにより、見事想いは成就……とはならず、結果は失敗。
ラブレターを読むことすらされず、庭に投げ捨てられてしまったとのこと。ただ、これは兼好法師に問題があったのではなく、相手が人妻であったため、そもそもが無理筋。それでも、怒った師直は、「物書きなど役立たずだ」と、兼好法師を出入り禁止にしてしまいました。
人の感情を背負うだけに、今も昔も代筆屋が難儀な職業であることは変わりないようですね。
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懸想文(けそうぶみ)売り
今でこそ多くの人が当たり前のように、文字を書く、という行為をおこなっていますが、かつてはごく限られた教養人しか文字を書くことができませんでした。そんな状況を受けて、江戸時代に登場したのが懸想文売り。懸想文というのは、現代でいうラブレターのことです。
懸想文売りをしていたのは、名誉や教養はあっても、収入の乏しい貴族たち。副業としてラブレターを売り歩くことで、生計を立てていました。ただ、貴族であるがために、表立っては活動をすることができず、正体がばれないよう、烏帽子に覆面姿という何とも奇異な姿で売り歩いていたそうです。
また、ラブレターといっても特定の相手に渡すためのものではなく、お守りのようなもので、懸想文売りから買ったラブレターを大切に持っておくと、良縁に恵まれると信じられていました。
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恋文横丁
時は移ろい、昭和20年代。今の渋谷109のあたりにも代筆屋が存在していました。代筆屋をしていたのは、菅谷篤二さんという方で、日本に駐留している米兵に向けたラブレターを代筆していました。依頼をしてくるのは、米兵に想いを寄せる日本人女性。英語ができない彼女たちに代わり、英語でラブレターを書いたり、米兵から送られてきたラブレターの翻訳をしていたりしたそうです。
また、菅谷さんをモデルとして、昭和を代表する流行作家である丹羽文雄の手によって、『恋文』という小説も誕生しました。『恋文』は映画化もされ、菅谷さんが店を構えていた一角は<恋文横丁>の名で親しまれる一躍話題のスポットとなりました。
残念ながら、今は恋文横丁は存在しないものの、ヤマダ電機LABI渋谷の横に“恋文横丁 此処にありき”と刻まれた碑が建立されており、当時の痕跡を認めることができます。
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ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン
代筆屋を主人公とした人気アニメ『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』。これまで紹介した人物と違い、ヴァイオレットは実在の人物ではありませんが、代筆屋の歴史を語る上で、『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』の登場はエポックメイキングな出来事であることはたしかだと思います。『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』がアニメ放映、映画化されることでその存在を世の中に広く知られるようになるにつれて、代筆屋という職業も市民権を獲得していったと、私自身、実感しています。
ちなみに、私が代筆屋であることを知ると、「『ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』をどう思いますか?」と多くの人が問いかけてくるため、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』についての考え、感想を記した記事をご紹介します。回答が気になる方は、是非ご覧ください。
▶︎ラブレター代筆屋の僕が観た『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』